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Food Trust (フードトラストと安食舎)

フードトラストの取り組み

 1895年、イギリスではかけがえのない自然環境や景観、歴史的遺産を保全・維持・管理・公開することで次世代に引き継ぐことを目的とした「ナショナルトラスト運動」が始まりました。
その原点は、誰もが平等に享受できる自然環境をみんなの共有財産として守るというものです。
 「ナショナルトラスト運動」に共感した徳江倫明氏は、早稲田大学卒業後。青果物流通に携わり、78年山梨県にて豚の完全放牧による肥育システムを確立。
同年有機農産物流通団体『大地を守る会』に参画、共同購入による有機農産物流通の構築に従事。
88年日本リサイクル運動市民の会に参画し、「らでぃっしゅぼーや]を興し、93年代表に就任。 foodtrust
また、97年オーガニックスーパー『マザーズ』設立。
2000年農林水産省登録の有機JAS認証機関『アファス認証センター』設立を手がけました。

 こうした活動の経験から、例えば農薬や化学肥料にできるだけ頼らず、美しい大地や水、風土といった環境を守る農業や地域の取り組みもトラストすべき対象と考え、そこからうみだされる、安全で安心できる農産物や食べものをもとに、生産者と消費者を信頼という絆でつなげていくこと、それを「フードトラスト」と名づけました。2005年に始まったフードトラスト協会は安全や環境に配慮した農業や地域の取組みを応援し、農産物や食品を認定することによって各地のフードトラストの取り組みを、消費者に広く普及して いくことを目的としています。

飽食の国の貧しい食に喝!

foodtrust 我々はこの「フードトラスト協会」の活動に共感し、2007年1月徳江倫明氏指導の下、日本の森と川と海の優れた環境を守り、その循環からもたらされる地域食材の普及を応援するために、
2007年4月21日法人組織 「安食舎」を立ち上げました。

 「本物の食材を安全に!」をテーマに、生鮮、あるいはその素材からなる加工食品など、地域の環境そして安全性に配慮した真の地域食材を開発し、「フードトラスト協会」と連携し、時代のさきがけとなる「信頼できる商品」の普及を行ないたい。
そんな情熱で下田漁協・南伊豆漁協協力の下で立ち上げた「安食舎」は伊豆産のイセエビ・キンメダイ・ワサビをふんだんに使った地産地消を目指した安心の「ふりかけ」を開発。
2007年5月に第1弾「伊豆の漁協のお墨付き ふりかけ伊勢エビ」
2007年8月に第2弾「伊豆の漁協のお墨付き ふりかけキンメ鯛」
2008年4月に第3弾「ねぷたふりかけ わさび」(青森県嶽開発と共同開発)の販売に乗り出しました。
 その後イセエビを使ったソースアメリケーノの粉末など、好調な滑り出しでスタートした安食舎でしたが、残念ながら平成21年9月1日伊豆半島内6漁協(稲取、下田、南伊豆、仁科、 安良里、土肥)、平成21年3月30日の、松崎、田子漁協の合併という大きな政治の時流の中、立ち退きや仕入れ事情等様々な条件が重なり消えていく運命でした。
 しかし、これらふりかけ開発より古く、下田と交流の深いロシア政府の好意(下記ディアナ号参照)で2000年頃より行われていた日ロの交流の中で、弊社担当の一人がモスクワにて驚かされた自然食品による体内環境改善食品に着目。日本向けに開発された東欧州型ヨーグルト(ケフィア)が完成。
2015年3月より、一般社団法人安食舎として活動が続けられています。 foodtrust

ディアナ号

 1854年、ペリー艦隊が下田を去って4ヶ月後、ロシアのプチャーチン提督が、皇帝ニコライ一世の命令で当時の帝政ロシア最新鋭軍艦ディアナ号にて来航しました。当時のロシアは、イギリス、フランス両国との間で戦争中で、この軍艦はロマノフ王朝の権威を象徴するかのような、長さ52m、2,000t.の木造帆装戦艦で、大砲52門を搭載、乗員500名という大型感でした。
この戦時下、ロシアが提督を派遣した理由は、アメリカが日本と和親条約を結んだことを知り、ロシアも日本との条約締結を求めて来たのです。条約の内容は、水や食料の供給と千島列島の国境問題の解決にありました。プチャーチンは、この時、下田の長楽寺で日露和親条約を締結しました。
 まず1854年11月第1回目の日露交渉が福泉寺において開かれ、双方の主張が自国の主張を示しました。数日掛け、その後第2回目の交渉を約束後、不運にもその翌日11月4日に大地震(安政の大地震)が発生し、大津波が下田をおそいました。
何度かの津波と引き潮により、ディアナ号は、自力航行不能になり、西伊豆の戸田へ修理のため曳航中、宮島村沖で沈没してしまいました。foodtrust
乗員約500人は、全員救助され戸田へ収容されました。それでも12月21日には長楽寺で日露和親条約が締結され、ディアナ号の沈没を知った戸田(へだ)の船大工と住民が協力して、天城山の木材を利用して新しく洋式船を突貫工事約3ケ月語の1855年3月10日船は完成しました。
プチャーチンは住民に感謝して、この船の名前を”ヘダ号”と名付けて47人と共に帰国しました。
 この時の船大工”上田寅吉”と”鈴木七助”は、後に長崎伝習所に行き勝海舟と出会うことになります。
また、”緒明菊三郎”は横須賀の浦賀ドックを造り、近代の造船業に大きな貢献をしました。
 この縁より、日本人の誠実さと勤勉さに大きな感銘を受けたロシア政府は今でもこのことを忘れることなく下田との交流が続いています。
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